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第61回
手の平のメモワール
 絶対忘れちゃだめなこと、絶対忘れたくないこと、大切なことを私は手の平にぐりぐりっと書く。
 
 あの本が売り切れそう、タイトルを。あの本の横にあれを持ってこよう、忘れる前に。本当は良くないとわかっているが、つい無意識にやってしまう。
 
 新海誠さんの『小説君の名は。』を読んだ。映画「君の名は。」を観た。その中のワンシーンのように、私もずっと昔に「誰かの名」を忘れないようにと、手の平に書いたことがあるんじゃないだろうか。
 
 池袋の映画館は、1時間並んで次の次の回の券が買えるかどうか、という異常事態で、仕事後に駆け込んだ日付けを越える新宿のレイトショーは、最前列が2席空いているだけだった。
 
 痛む首をさすりつつ、ちくしょう映画館はいいな、と思った。明かりが点いた瞬間の奇跡的な静寂も、衝撃から立ち直り切れていない観客の出口へ向かう緩慢な歩みも、すぐそこに確かに、ある。物語が届いたことを目の当たりにできる。
 
 本の場合、読み終えた本を抱きしめて、ベッドの上をゴロゴロと転がる姿など、まず見ることはできないもの(絶対やっているはずだ!)。腰が抜けて立てないまま、シートに沈んでそんなことを思った。
 
 翌朝、すっかり目を腫らした書店員は、何かを忘れている気がして、まだ真っ白い手の平に目を落とす。
 
(三省堂書店池袋本店/新井見枝香)
(2016年10月24日更新/ 本紙「新文化」2016年10月6日号掲載)
               
 
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