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第110回
書店の椅子
 彼は毎週末、神保町に訪れた。いつもの椅子に深く腰を掛け、数時間、彫像のように読書をする。読み終えた本は、きちんと元の棚に戻した。
 
 背が高く姿勢が良い彼は、一目で上質とわかる服を着て、いつも堂々としている。堂々と、また来週も売り物の本を読み切って、堂々と、買わずに帰るのだろう。もうそれが3カ月は続いている。
 
 書店の椅子は何のためにあるのか。本をじっくり選びたい、選びすぎてくたびれてしまった、そういうお客様のために設置しているのである。大声で通話をする人、おにぎりを食べる人、並んで座って対戦型ゲームに興じる人たち。そういった場合は、まだ注意がしやすい。ここはそういう場所ではないと教えてあげればよい
 
 だが彼は、本を選んでいるようにも見えなくない。買う気がない人を拒むほど、書店は狭量な場所でもない。手に取る本と読むスピードで、かなりの読書家であることもわかる。そんな彼の前を、私たち書店員は、お問合せや納品で何十回と行き来した。
 
 その動力は、会社から給料をもらって、ご飯を食べているからこそ生まれるわけで、それは本を買う人がいるからである。どんなに素晴らしい本を読み重ねたって、そんな簡単な想像もできないのかと、悲しい気持ちになるのだが、それもまた、彼には想像もできないことなのだろう。
 
(三省堂書店神保町本店/新井見枝香)
 
(2018年10月29日更新/ 本紙「新文化」2018年10月25日号掲載)
               
 
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