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第18回
実家が燃えたはなし
  たまに話の流れで、実家が火事になったことがあるという話をすると、目の前の相手の表情がすっと曇る。恐る恐るといった感じで当時の状況を尋ねてくれる優しい人たちの困惑した様子を見ながら、あぁまたやってしまったなと反省するのだ。
 
  実家が火事で全焼したのはもう10年以上前で、こうして書きながら思い出してみても正確な年数が分からないほど自分の中ではもう昔話のひとつにカウントされている。それはもちろん火事で家族のだれも怪我ひとつせず無事だったという幸運があったからこそなのだけれど、確かに話の流れでいきなり火事なんて単語が出てきたら驚くだろうと思う。
 
  それは5月のとても風が強い日で、納屋の配電盤から出た火は、あっという間に母屋に燃え移った。
 
  消防に電話し終えた母は車を火の届かないところに移動すべく庭に飛び出し、祖母は広げた風呂敷に祖父の位牌や通帳を包んで逃げる準備をしていた。
 
  私はというと、慌てて愛犬を胸に抱えたものの、愛犬以外に燃えて困るものが特に思い浮かばず、財布や東京の一人暮らしの部屋の鍵や携帯電話などが入った小さな鞄だけを持って外に出た。腕の中で愛犬がぶるぶる震えていた。
 
  緊急事態にはその人の本性が現れると言うけれど、家が燃えるという、それまで経験したことのないほど緊急な事態に陥りながら、私はどこか傍観者のような気分でいた。冷静と言えば聞こえはよいけれど、冷静というよりはすべてを諦めていたという方が近い。清々しいほどの諦め。
 
  映画「タイタニック」を見ながら、私ならもっとうまく生き延びられるはずと根拠もなく思っていたけれど、実際は逃げることを諦めて一つのベッドで死を待つ老夫婦の、または最後まで演奏を続けた音楽家たちの側の人間なのかもしれない。いや多分きっと、そうなのだろう。
 
  今もしも、あの火事の日に戻れるとしたら、愛犬のほかにもうひとつだけ持ち出したいものがある。家族の写真がたくさん詰まったアルバムだ。
 
   火事から数年後に祖母が亡くなった時、手元に残された祖母の写真の少なさに唖然とした。帰省のたびに家族の写真を撮っていた弟の姿を不思議な思いで眺めていたけれど、そうかこういうことか、とその時はじめて腑に落ちた。
 
  石川美南さんの『体内飛行』(短歌研究社)という歌集に、著者が生まれた1980年から2019年までを、一年一首で詠み表した章がある。「一九八〇年、誕生」の歌に目がとまる。
 
  廓に響く祖母の万歳三唱を
  わたしは聞かず眠りゐしのみ
 
  歌の中の「祖母」と「わたし」に、祖母と私の姿が重なる。久しぶりに思い出した祖母の顔。言葉も記憶を定着させるための道具になるのだと改めて思う。写真とは違う鮮明さと強度を持った言葉による記憶装置の可能性を、私はいま探り始めたばかり。
 

(ライター・書評家)

(2020年9月10日更新  / 本紙「新文化」2020年9月3日号掲載)
               
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