第14回 ’21年学校読書調査から検証2、東野圭吾作品に根強い支持

 2021年の学校読書調査では、東野圭吾の『ラプラスの魔女』や、「マスカレード」「加賀恭一郎」「探偵ガリレオ」などの複数のシリーズが、高校生に支持された。だが2012年の同調査では、中高生に対する「いちばん好きな作家は?」との質問に、中学生の17.6%、高校生の22.3%が山田悠介と答え、2位の東野圭吾の中=7.3%、高=12.1%は、大きく差をつけられていた。
 それが21年の調査では、山田作品は「今年度に入って読んだ本」ランキングで1冊しか入らなかった一方で、東野圭吾の変わらぬ人気が印象付けられた。では現在の10代の読書傾向から見て、この10年ほどの東野作品は、どんな点が好まれているのだろうか。
 東野作品は頻繁に映像化されて目に付きやすいため、若い人がよく手に取るということはあるだろう。しかし作品がほぼ映像化される作家でも、中高生に支持されないケースはある。とすれば、支持される理由は内容的な面にもあるはずだ。
 まず東野作品は、圧倒的に読みやすい。児童文学評論家・赤木かん子が指摘したように、小中高生によく読まれる小説の特徴は、「本を読み慣れていなくても理解しやすい」ことである。具体的にいえば、出来事と会話を中心にポンポン進むような文体で書かれており、詳しい描写や比喩は少ない。東野の文体もこれにあたる。
 「ミステリー」というジャンル的な人気もあるのだろうか? たしかに学校読書調査を見る限り、小中高いずれにおいてもミステリーの人気は高い。そしてこの連載の前回で着目したように、彼らは共通して、「子どもが大人顔負けの知的活躍をする」ことを好む。だが高校生はそれに加え、謎解きそのものより、殺人や死という重大で取り返しのつかない行為/現象を通じて、登場人物の悲哀が描かれる場面を好むように思える(とくに女子は)。
 それなら何もミステリーのジャンルでなくても描けるのではないか、と読者は思われるかもしれない。筆者もそう思う。それゆえ、他のミステリー作品と並べて見ないほうが、あるいはミステリーという〝色メガネ〟を通さないほうが、東野作品に高校生が求めるものは理解しやすい。
 「加賀恭一郎」「ガリレオ」シリーズでは、作品の終盤に、犯人サイドの過去から犯行に至るまでの人生の悲哀が語られる。さらに言えば、主人公が真犯人(多くは家族)をかばって罪をかぶる/隠す、という自己犠牲が描かれ、読者を泣かせにかかる。そのエモさ、悲痛さは、10代が好む他の作品に通じるものがある。
 それはたとえば、死者と遺された者の触れ合いを描く村瀬健『西由比ヶ浜駅の神様』や、辻村深月『ツナグ』、前回も触れた、物語開始時点で男女どちらかの死が確定した悲恋もの(宇山佳佑『桜のような僕の恋人』、小坂流『余命10年』他)などだ。それらと並べてみると、東野作品が高校生にどのように読まれているかがより鮮明に見えてくる。
 つまり死や人生が懸かった設定のもと、想い人や家族に強い想いを吐露する/托す物語として、受容されているのである。
(2022年4月21日更新  / 本紙「新文化」2022年3月10日号掲載)