第10回 エーゾーはエーゾー

 こまめに追加注文をかけて、長く平積みを続けている小説の文庫本が、ある日突然、知らない人の顔写真に包まれて納品されるとギョッとする。美しい装画は、ロング帯で大半を隠されていた。別に映画化が決まったから、発注したわけではない。そもそも、忘れていた。なにしろ最近、小説の映画化やドラマ化が多すぎて把握しきれていない。小説は映像の原作としての価値しかなくなり、書店が映像作品のアンテナショップと化す日もそう遠くはないのかもしれない……。
 本来、小説と映像作品は別物で、そこに優劣はない。映像化されない作品には大した価値がないと本気で思っているなら、いっぺんお熱を測ったほうがいいし、「映像化熱望!」とか言っておけば小説を褒めたことになるなんて、あまりにも浅はかだ。良さはそれぞれにある。
 映像化が決まれば重版がかかる。それを受けて書店が展開を広げることは、小売業として正しい。ちゃんと仕事やってます感も出る。しかし、そればかりに振り回される仕事に、一体何の楽しみがある。開店前にリモコンを山ほど抱えて、モニターやDVDプレーヤーの電源という電源をつけまくるお仕事も、度を超えるとうんざりしちゃうって話だぞ。

(新井見枝香/HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE)

(本紙「新文化」2019年9月26日号掲載)