第5回 世間は蔑視も80年代から充実へ

1970年代までの韓国漫画は、子ども向けは漫画房(貸本)と児童雑誌(漫画誌ではない子ども向け雑誌)、大人向けは新聞連載および一部の貸本や大人向け雑誌で展開された。日本でいう少女マンガに近い「純情漫画」や、同じく青年マンガに近い「成人漫画」の本格的な隆盛は、80年代初頭に始まった。

純情漫画の嚆矢は、1957年のハン・ソンハク『永遠の鐘』とされている。60年代には、高橋真琴やその後続作家の華麗な画風の影響を受けたとおぼしき、オム・ヒジャ、ミン・エニら第一世代作家が登場する。

だが、72年に起きた小学生の自殺事件が漫画『鉄人三国志』の影響とされたことで、マスメディアが漫画を「六大社会悪」のひとつとみなした。全国で焚書運動が起こり、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)政権が「不良漫画捜査」を指示して、原稿の事前検閲が厳しくなる。

純情漫画には「ひとつのコマの中に男女を二人きりで描いてはいけない」「ヒロイン像はけなげな良い子」などといった規制がかけられ、その結果、70年代は表現上の停滞期となった。

1979年、朴正煕大統領がKCIAの側近によって暗殺され、クーデターが起きた後、短命に終わった崔圭夏(チェ・ギュハ)政権を経て80年、全斗煥(チョン・ドゥファン)が大統領になった。

このとき36年ぶりに夜間通行禁止令が撤廃され、成人映画が制作できるようになるなど、行動や表現の規制が緩和された。

もっとも、同年デビューした純情漫画第二世代を代表する作家・黄美那(ファン・ミナ)の雑誌デビュー作『イオニアの青い鳥』は、中世ヨーロッパの架空の国を舞台にしたものだが、クーデターを描いたことで連載が3回で打ち切られた。「緩和」とはいっても、あくまで相対的なものにすぎなかったのだ。

並行して全斗煥政権は、言論機関の統廃合を実施した。地方紙は1道1紙、放送局は3局、通信社は1社に統合され、新聞風刺漫画も連載終了や移籍を余儀なくされた。

とはいえ、多少の検閲緩和と、77年放送の水木杏子原作、いがらしゆみこ作画『キャンディ・キャンディ』のアニメが性別を問わず社会現象化した下地もあり、金童話(キム・ドンファ)の『私の名前はシンディ』(80年作)のヒットを皮切りに、純情漫画には実力派作家が続々登場。今日でも評価の高い大河ロマンやファンタジーが隆盛した。

成人漫画でも、82年から始まった李賢世(イ・ヒョンセ)『恐怖の外人球団』(ここでいう「外人」は外国人ではなく「のけ者」の意)が、83年に貸本劇画単行本シリーズとして刊行を開始した。
プロ野球を題材に、身体障害者やエスニック・マイノリティなどから成るチームの選手たちが劣悪な時代状況下、社会の主流と戦うという内容の同作は大ヒットし、高校生や大学生の読者を開拓した。

日本でいえば、社会的な意味では高森朝雄作、ちばてつや画『あしたのジョー』がそれに近い。〝情念迸る魔球もの〟テイストでは、梶原一騎原作、川崎のぼる作画『巨人の星』や、遠崎史朗原作、中島徳博作画『アストロ球団』が近い存在といえるだろう。

検閲緩和と経済成長、図書定価制(書店流通の本の定価販売)の成立を受けて、出版業界は70年代後半~80年代に安定期に入った。漫画も世間からの蔑視は依然として続いたものの、充実の時代を迎えていく。

(本紙「新文化」2024年2月1日号掲載)

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