2000年代初頭には、韓国の漫画家が次々に日本のマンガ雑誌で連載する流れがあった。だが2000年代後半になると、韓国国内では青少年や大人向けの紙漫画の凋落および、ウェブトゥーンの隆盛が決定的になり、日本をめざす漫画家は激減した。
ところが近年、再び日本の媒体での活動を希望する韓国の漫画家が増え始めている。その背景のひとつとして、韓国では漫画・ウェブトゥーン関係の大学・大学院の学部・学科が--学生を集めたい思惑を持つ地方の大学を中心に--増え、今やおそらく毎年2000人前後の卒業生を輩出していることがある。
しかし、2013年にレジンコミックスが課金モデルを成功させてから急増したウェブトゥーン・プラットフォームの競争はほぼ勝負が付き、新人がデビュー・連載できる媒体は、一時期よりも集約されてしまった。結果、韓国国内では才能の受け皿、出口が足りていない。
しかも、本連載でも触れてきたように、現在のウェブトゥーン・プラットフォームは個人作家には不利な環境になっている。人気ジャンルの偏りが激しく、高い作画力が求められるうえ、集団制作のスタジオ作品と戦わなければならない。こうした不自由さと困難に直面した若い漫画家たちには、日本マンガが相対的に自由に見える。
日本で「韓国式のウェブトゥーンが世界市場を席巻する。乗り遅れてはいけない」と騒がれていたのと同じ頃、韓国で「日本のマンガ雑誌やアプリで成功すれば、ジャンプ作品のようにアニメ化され世界的に有名になれる」と夢見る若者が増えていたのは皮肉なことだ。
日本で韓国漫画・ウェブトゥーンについての誤解が蔓延している点については、本連載でたびたび触れてきた。それと裏返しで、韓国でも日本のマンガ制作のシステム、商慣習についての正しい知識を伝えるカリキュラムが、大学にも韓国国内のウェブ上にも用意されていない。
また、2000年代と比べてみても、両国の制作現場の事情と違いに精通し、言語だけでなく文化的な翻訳・調整ができる、実務に長けたコーディネーター、プロデューサーは数少ない。
韓国の大学の漫画学部では、シナリオの作り方からデッサン、構図、着彩など絵の技術まで、実践的なクリエイター教育を施している。だが、いくら画力が高くても、日本人が違和感をもたないコマ割りであるとか、日本人好みのキャラクターや展開に正しくチューニングできなければ、その作品は受け入れられない。
連載を前提とし、コマ数・ページ数に制約のないウェブトゥーンやインスタトゥーンに慣れきった韓国の若者には、ページマンガ形式で短い紙幅に収まるようまとめる「読み切り」作品なるものがピンとこない。しかし読み切りマンガが描けなければ、日本の新人発掘・育成システムでは、そもそも土俵に立つことも難しい。
韓国ウェブトゥーンと対比してイメージされている「日本マンガの自由さ」は、実際にはあくまで相対的なものだ。その世界にエントリーするには、それなりの作法を学ぶ必要がある。
日本でウェブトゥーンに挑戦した末、あえなく撤退した企業・作家が無数にいるように、韓国でも日本マンガにチャレンジして挫折した作家たちがいる。これも現在の韓国漫画・ウェブトゥーンの現実なのである。
(本紙「新文化」2025年7月3日号掲載)