第4回 書肆玻璃と光

 暖かい空気が動いた気配で目を開けると、すぐそばに友人の顔があった。「あ、ごめん。寝顔見てたらチューしたくなっちゃった」。えーなにそれーと笑い返したいけれど眠すぎて声が出せない。中途半端な笑みを残したまま、また眠りに落ちる。
 久しぶりに会った友人の部屋でお酒を飲んだ。つまみはデパ地下で買い込んだたくさんの惣菜と、彼女が最近終わらせたばかりのつらい恋の話。最初こそ面白おかしく話していたけれど夜が深まるにつれお酒も進み、最後は彼女も私も泣きながら眠りについた。そして朝方、彼女は私にキスをした。と、昼近くになってやっと起きた私に自己申告してくれた。懐かしい感覚がよみがえる。
 学生時代、誰より長い時間を過ごしたのが彼女だった。ある時期、私たちはまるで鏡に映ったひとりの人間のようだった。身に起きたことを逐一報告し合い、喜びも悲しみも共有しないと気が済まない。自分に対して素直に向けることができなかった自己愛を相手に投影していたんだろうな、と今ならわかる。「友情」という言葉を辞書で引くと「友人間の情愛」とあるが、友人間ならぬ「わたし間」の情愛だった。友情とも恋とも呼べない、期間限定の蜜月。
 最果タヒさんの短編集『少女ABCDEFGHIJKLMN』(河出書房新社)は、短い蜜月をまさにいま生きている少女たちの物語だ。クラスメイトに上級生に血の繋がった姉妹に、と投影の相手は様々だけれど、一緒に幸せになりたいというひりひりするほど切実な思いが全編を貫いている。そこに存在するのは概念としての愛ではなく、触りたいとか目にしたいという素直で健やかな欲望だ。
 初めて知る同性への嫉妬を鮮やかに描き出した物語として、フランチェスカ・リア・ブロックの『〝少女神〟第9号』(ちくま文庫)も挙げたい。ふたりの少女がつくったミニコミ誌「少女神」が偶然憧れのミュージシャンの手元まで届き、インタビューを受けてもらえることになる。スターを前に緊張するふたりだけれど、彼女たちの心をさらったのは彼のミューズとして現れたひとりの美しい少女だった。「わたし」を投影できない相手に出会ったとき、鏡に映る自分の姿を直視するのは苦しい。絶望感を抱かせるほどの憧れは、きっと恋より強い。
 だれかひとりを『少女A』としてサンプリングしても、彼女たちの関係性に名前をつけることは難しいだろう。カテゴライズはあくまで外側にいる人のためのもの。「百合」はもう馴染みのある言葉だけれど、呼んだ途端に溢れてしまうものがたくさんある。私たちはみんなただひとりの「少女A」であり、「少女BCDEFGHIJKLMN…」なのだ。

(MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店)

(2019年7月11日更新  / 本紙「新文化」2019年7月4日号掲載)