第11回 私のなつかしい石っころ

 雨が降ると、その雨音にどこまでも閉じ込められてしまいそうな家で育った。昔ながらの平屋建てで屋根の面積が広く、家中どこにいても頭上で小さく爆ぜる雨音に追いかけられた。
 庭いじりが趣味だった祖父は、木と同じように石にも愛情を注ぐひとで、植木と植木の間にはいくつか祖父の選んだ大きな石たちが転がっていた。小学校から戻ると、その石の上にノートを広げて宿題を済ませてから遊びに出るようになった。宿題に飽きてくると、何色と一言では言い表せない石の色にしばし見入ったり、石の表面に絵を描いて遊んだ。石が好きだった。
 縁側に立つと、雨に濡れる石たちの様子がよく見えた。雨音に聴覚を遮られながら見る石は、いつもと違う顔をしていた。
 雨のあとは、木々も雑草も饒舌だ。雨が降って嬉しい。体が濡れて楽しい。耳を澄ませばそんな囁き声すら聞こえてきそうな雨後の世界で、私はいつももの言わぬ石のもとへ向かった。雨に濡れた石は美しい。光が当たると青色はより青く、白色はより透きとおる。
 自由律俳句で知られる尾崎放哉はその最晩年を、小豆島(香川)にある西光寺の南郷庵で過ごした。その地での日々を記した「入庵雑記」(『尾崎放哉句集』〈岩波文庫〉)には、石について書かれた文章がある。
 放哉は自身の暮らす島が良質な石の産地であることがたまらなく嬉しいとしたあとに、それでも自分がもっとも心を動かされるのは、路上に転がっているつまらない小さな石っころだという。蹴られたり、蹴られ損なったりしても黙々としてだまっている様がかわいらしい。草木のようにものはいわないけれど、生きているからこそ、その沈黙がまた意味深い。そんな愛惜の情が述べられている。
 一流企業に勤め、エリートと呼ばれた前半生と、配偶者と別れ、各地を転々とした末にたどり着いた島での後半生。庵にひとりきり、生活は貧しく病にも苦しんだが、放哉の秀句のほとんどは島で過ごした晩年の3年の間に生まれている。
 孤独を「孤独」以外の言葉で表そうとしたひとだったように思う。「咳をしてもひとり」と、庵でひとり空咳をしたあと、転じた目線の先にはもの言わぬ石っころが転がっていたんだろうか。たとえ昨日までとは別の石っころでも、いつでもそこに静かにあること。雨の日に、縁側から見た石がいつもと違う表情を浮かべていたことを思い出す。
 早く庵に帰って、私のなつかしい石っころを拾いあげて見たい--。文章はそう締め括られている。
 最後に、放哉の最晩年の句のうち、私の好きな一句を紹介したい。
 「お月さんもたつたひとつよ」
 もの言わぬ大きな石っころが、今日も夜空にぽっかり浮かんでいる。

(ライター・書評家)

(2020年2月20日更新  / 本紙「新文化」2020年2月6日号掲載)