第12回 窓から入っていいよ

 田舎の民家は鍵をかけない。少なくとも私の育った地域はそうだった。不用心と言われればその通りだけれど、泥棒に入られたという話は聞いたことがなくて、その代わり、毎日のように野良猫に入られていた。
 両手を使って器用に引き戸を引くと、音もなくするりと侵入する。家の間取りが頭に入っているのか、ほかの部屋には目もくれず、一直線に台所に向かう。狙いは、朝食の残りの焼き魚だ。なぜかいつも、食卓の上に出しっぱなしになっていた。
 猫にしてみたら、なんともちょろい家だ。畑仕事を切り上げた祖母がお昼ご飯を食べにいったん帰宅する頃には、犯行はすでに完了している。空になった皿を見つけると、祖母はいつも外に飛び出していって、「この泥棒猫」と叫んだ。でも、それだけだった。次の日も、食卓の上には魚が置いてあった。
 姓は「ツイラク」、名は「ミーちゃん」。詩人の佐々木幹郎さんの部屋に自由に出入りしているメスの三毛猫の名前だ。ミーミー鳴いて甘えるからミーちゃん。子猫の頃に塀から墜落して大けがをしたから「ツイラク」。由来を知ってみれば納得の名前とはいえ、ツイラクという妖艶な響きは詩人の猫にふさわしい。
 『猫には負ける』(亜紀書房)は、ミーちゃんとの生活を通して、猫という愛おしい生きものの不思議を綴ったエッセイ集だ。
 ミーちゃんは半野良猫だ。佐々木さんが数日家を空けるときは外でひとり、平気で暮らしている。
 「郊外に住んでいる猫は、精悍で勇敢な猫ほど長く生き、都会ではその反対で、臆病な猫ほど長生きする、というのは、都会がイキモノにとっていかに危険かを示している。」(37ページ・13行~15行目)
 ミーちゃんの兄猫・ノリは勇敢な猫だった。今はもういない。車が急ブレーキを踏む音が外から聞こえてくるたび、ミーちゃんの姿を確かめては胸をなでおろす。佐々木さんは、ミーちゃんが半野良のままでいることの危険性を十分承知している。
 人間の近くにはいたいけれど、べったりするのは嫌いなミーちゃん。いつもより長く家を空けた佐々木さんに思い切り甘えるミーちゃん。
 風のように自由だけれど、一緒にいると空気のようになじむ。自由な魂を持つ猫との共存の仕方はさまざまで、そのかたちはきっとこれからも変わっていく。猫は愛おしい。それだけがずっと変わらない。
 何度盗みに入られても、鍵をかけることもなく、魚も出しっぱなしにしていた祖母。祖母の叫んでいた「泥棒猫」という言葉は、「明日もおいで」という意味だったのかもしれない。
 いつだって、猫には負ける。

(ライター・書評家)

(2020年3月19日更新  / 本紙「新文化」2020年3月5日号掲載)