第20回 巣ごもりのすすめ

 特に新しくも古くもない普通のマンションのはずだけれど、普段まったくといっていいほど自分以外の住人の生活音が聞こえてこない。たとえば今こうして休日の夜にパソコンに向かってキーを叩いていると、自分の呼吸音とパチパチという打刻音が世界の音のすべてのように錯覚してしまいそうになるほどだ。
 たいていは近くの街道を走る車の音に現実に引き戻されるのだけど、この部屋だけが時空の歪みに迷い込んだみたいな一瞬が訪れるたび、都会は意外と静かなんだなと思う。
 まるで巣ごもり中の鳥のように、静かな部屋のさらに奥へ。私は、決して短くはない時間をほぼ毎日、お風呂場で過ごしている。
 日課というよりはもう習慣に近くて、仕事を終えて家に着いた瞬間から、お風呂で過ごすための時間を捻出するためにタイムスケジュールを組み始める。最低でも2時間。イレギュラーなことが起きたときのために本当は3時間ほしい。というのも、私は本を読むためにお風呂に入る。物語が佳境に入ってしまったら、おいそれと簡単に本を閉じることはできない。
 本を読むのにいちばん好きな場所には、迷わずお風呂と答える。電車と喫茶店もいいけれど、そのふたつは割と外的要因に作用されがちで、偶然居合わせた人同士の相性の良し悪しが大事だったりする。その点、お風呂場はいい。ほかの住人の生活音の聞こえないマンションならなおさら。タオルと飲み物を持ち込んでしまえば、気が済むまで静かに本を読むことができる。
 昨日から『忘却についての一般論』(白水社)をお風呂で読み始めた。著者のジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザさんはアンゴラの作家で、アンゴラはアフリカ南部の国だけれど旧ポルトガル植民地であり、ポルトガル語を話す人々の数はアフリカ最大。この物語もポルトガル語で書かれている。
 姉の結婚を機にポルトガルからアンゴラへ移住した女性ルドが主人公のこの物語は、1975年のアンゴラ独立から27年もの長いあいだ続いた内乱の時代を描く。動乱の最中、姉夫婦が行方不明になったのをきっかけに、ルドは屋上テラスのある最上階の部屋で誰からも忘れられたまま、ひとりで生活を始める。水道も電気も止まり、エレベーターは自ら壁で塞いだ。
 備蓄された食糧と雨水で飢えと渇きを癒しながら、階下や通りの向こうからの侵入者に怯えながら暮らすルドは次第に自分の内面に目を向けるようになり、日記をつけ始める。
 アンゴラという国も、そしてその歴史も、これまで決して馴染みのあるものではなかった。歴史のなかの1日を日記という局所的な視点から眺めながら、彼女の生きた時代についてもっと知りたいと思う。
 まだ読み始めたばかり。歴史を学びながら、ゆっくり大切に読み進めたい。

(ライター・書評家)

(2020年11月13日更新  / 本紙「新文化」2020年11月5日号掲載)