第47回 古本屋さんへ行こう

 みなさんは本棚から増えすぎて溢れた本、どうしてますか。
 私は定期的に古本屋さんへ持っていくことにしている。本棚どころか、もはや床にまで浸食して久しいのだけれど、そんな状態でもある日突然、「あ、古本屋さん行こう」と思い立つ瞬間が来る。
 わざわざ古本屋まで持っていくのは面倒だと、家庭ゴミとして捨ててしまう人もいるけれど、私はこれがなかなかできない。雨に濡れる可能性のある場所や、砂でざらつく地面に本を置くことが苦手だ。
 たとえ数冊でも必ず古本屋に持っていく。本が好きという前に、単純に紙そのものが好きだ。
 先日、夜中に突然そのモードが降ってきた。あ、古本屋に行かなきゃ。そう思い立ち、鞄に本を詰めていく。
 1泊旅行くらいの荷物なら、難なく収まってしまうほどの、大きなトートバッグ。キャンプ用品を出しているブランドなだけあって、いくら詰めても持ち手がちぎれそうな様子はない。ここからは私の体力勝負になる。
 これはもう何度も言っているような気がするけれど、本は重い。でもどうせ行くなら、本をたくさん持っていきたい。ここからは、私と重い重いトートバッグとの戦いだ。
 朝起きて、夜中につめたトートバッグを持ち上げてみる。なかなか重いけれどなんとか行けそう。いつも持ち込む古本屋が営業してるかどうか確かめる。最近は2店舗をその日の本のラインアップで使い分けている。
 古本屋にはそれぞれ、その店ならではの強みや色があって、なるべく、その色に合う本を持っていきたいという思いがある。
 馴染まないかもと感じながら持ち込んだ本が、売れないまま何カ月も店の本棚にささっている様はとても気まずい。1日に何件も買取希望の客が来るだろうし、きっと私が売った本だなんて店主も覚えてないだろうけれど、この気まずさの解消のために、もう一度買うべきか本気で悩むほど気まずい。実は今も定点観測している本が何冊かある。
 これまでに何十冊と持ち込んでいるはずなのに、自分が持ち込んだ本はすぐに分かってしまうのはなぜなんだろう。名前が書いているわけでもないのに、背表紙の霞み具合や捲るページの馴染み具合に私の本棚の癖のようなものが見える気がするから不思議だ。
 結局、今回の「あ、古本屋さん行こう」は1日ではおさまらず、私は次の日も重い重いトートバッグを肩に食い込ませて、同じ古本屋に向かった。
 2日連続で訪れたお店で、査定を待つ間にいつもの定点観測を済ませる。まだある。気まずい。店主にもばれているような気がする。
 査定の間に見つけた気になる本を、本を売って得たお金でさっそく購入する。空になったトートバッグにその一冊を放り込んだら、足取り軽くうちに帰ろう。

(ライター・書評家)

(2023年2月24日更新  / 本紙「新文化」2023年2月9日号掲載)