第7回 80~90年代雑誌漫画の隆盛と失速

 韓国では1950年代に漫画専門誌が創刊されたが、その後はしばらく途絶え、子どもや大人向け雑誌の一角を漫画が占めるに留まっていた。

「ほぼ漫画だけの雑誌」は、82年創刊の「宝島(ボムルソム)」が500頁前後のボリュームで様々なジャンルの漫画を掲載、人気を博した。また85年創刊の初の成人漫画誌「漫画広場」が、大学生などからの支持を得たことで、ニーズが確認された。

 純情漫画(女性向け漫画)誌誕生の前史としては、85年にファン・ミナ、キム・ヘリン、キム・ジンら「純情漫画第二世代」の作家9人が「ナイン」を結成。貸本単行本の商業主義的な出版システムと検閲を通さない同人誌「九番目の神話」を制作・流通させたことも重要だ。同誌は第2号までは非売品だったが、第3号は出版社が制作費を提供して委託販売し、3000部を売り切った。

 軍事政権が終焉を迎え(民主化は1987年)、ソウル五輪が開催された88年、少年漫画誌「IQジャンプ」や純情漫画誌「ルネサンス」が創刊され、漫画専門誌の時代が本格的に幕を開ける。

 ひとつの出版社が、漫画雑誌とその連載作品の早期のコミックス化を両方手がけることが一般化するのは、91年末創刊の純情漫画誌「デンギ」発の単行本が92年に大ヒット、他社が追随し始めた93年頃からだ。

 経済成長、購買力の向上もあり、90年代の雑誌漫画黄金期には、漫画は「借りる」だけでなく「買う」ものでもあるという認識が一般化した。

 また、従来の韓国漫画界は徒弟制で、何年も修業を積んでからデビューするのが一般的だった。しかし80年代からは、同人誌活動で注目され、ほぼアシスタント経験を経ずにプロになる道が登場する(80年代まで韓国の同人漫画はプロ、オリジナル志向が強く、二次創作は主流ではなかった)。

 さらに、新人が雑誌の公募(日本でいう新人賞)でデビューするルートも開拓された。「IQジャンプ」を刊行するソウル文化社は、日本マンガのシステムを学ぶため編集者を集英社に派遣。新人賞や人気アンケート制度も採り入れた。91年創刊の「少年チャンプ」なども新人を積極的に起用、貸本漫画出身ではない若い作家が増えていく。次々に創刊される漫画雑誌の誌面を埋めたのは、貸本出身のベテラン、同人誌や新人賞出身の若手、そして日本マンガだった。

 韓国は85年、米・レーガン政権による通商法301条の発効をきっかけに、外国人の著作権保護のため著作権法を改正、さらに万国著作権条約加入を果たす。89年には「IQジャンプ」が「ドラゴンボール」の版権をを正式に取得して掲載し、爆発的な人気を得た。以降、日本マンガの正規翻訳出版が劇的に進み、海賊版は終わりに向かった。

 しかし、雑誌漫画は21世紀を目前にして、勢いを失っていく。

 96年、政府は漫画や文化全般に対し、性・暴力表現への圧力を強めた。97年夏には青少年保護法を施行。検察は暴力事件を起こした少年が「『ろくでなしブルース』から影響を受けた」と語ったとして、漫画の出版・流通、漫画家の取り締まりを強化し、書店店頭から漫画が消えた。

 さらに97年末には、韓国経済が大打撃を受けたIMFショックが起こり、出版産業も例外ではなかった。漫画業界は、レンタルショップである貸与店頼みになり、変化を余儀なくされる。

(本紙「新文化」2024年4月4日号掲載)

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