第21回 純粋に好きだった頃

 緊急事態宣言が明け、少しずつ日常を取り戻していることを、まちから感じるようになってきた。
 先日、秋の陽気に誘われ、純粋に本に出合いたくて久しぶりに本屋巡りをした。
 本や本屋に関わる仕事をしていると、純粋に好きだった本への気持ちが冷めていくのを感じる瞬間がある。年々「仕事にするなら好きなことより、そんなに好きじゃないことの方がいい」という想いが強くなっているのが正直なところ。
 商材としての本、金融としての本、紙の束である物体としての本をどのように流通させ、どのように利を上げるのか。商売である以上、絶対にそれを忘れてはいけない。僕は、自身の苦い経験からそう思い続けてきたし、それはこれからも変わらないだろう。
 一方で、純粋に好きで読み漁っていた頃の〝本との付き合い方〟が忘れられない。壁にぶつかり行き詰ったとき、本が嫌いになりそうなとき。何も考えず、ひたすら本を探して本屋を巡ることにしている。立地、什器、照明、導線、本のセレクトなどは気にせずに、お気に入りの本を探し買い求める。
 かつて、柳美里さんは「本は壁にぶつかったときや、何かに躓いたときに、誰にも打ち明けられないことを打ち明けられるものだと思っていて、人はそのために本を読むのだ」と話されていた。
 先日の本屋巡りでは、初読みの著者の本を中心に買い求めた。新しい著者との出合いは、世界を拡げてくれる。もう少しだけ頑張れそうだ。
(本紙「新文化」2021年11月4日号掲載)

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