第108回 なぜ本屋か本なのか

貸本屋として生計を立てるおせんの〝お江戸出版界捕物帳〟第2弾『往来絵巻 貸本屋おせん』(高瀬乃一/文藝春秋)が発売された。

女手ひとつでおせんが営む「梅鉢屋」は、店舗を構えず、振り売りや棒手振りと同様に、お得意先をまわり歩き、好みを聞いて本を揃えて、手頃な値段で貸し、読み終わった頃合いに回収に出向き、そして新たな本を貸すというスタイルである。

高荷を背負って江戸の町中を振り歩く。おせんの行くところには、本にまつわる事件が起きる。もはや、事件を呼び込む本屋と言っていいだろう。

本書でもそうなのだが、それぞれの事件は、日常のなかで起こるささやかで不可解な出来事ではなく、現代に通じる倫理的な問題やテーマを、出版事情に絡めて描かれているのが特徴である。

5つの連作短編で構成されている本書だが、「みつぞろえ」にはしてやられた。

前作で、あんなにも真っすぐな本への愛をもっていた少女・おせんが、この数年間でどうしてここまで変わってしまったの? 火事で蔵書を失い、お客さまの期待に応えることができないもどかしさが、こうさせてしまったのか、と寂しさを越え、著者に対して憤りを感じながら途中まで読み進めたのだが、そこで著者のたくらみにはっと気づくのだ。そんな高瀬氏のたくらみも楽しみに、おせんの成長を見届けてほしい。

なぜ本屋なのか、なぜ本なのか。振興策にすがる前に、業界にいる我々はこの問いにしっかりと向き合うべきだろう。

(本紙「新文化」2025年6月19日号掲載)

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