第43回 変わり映えのない毎日

 私の人生には何も起きない。
 1カ月に一度、この連載を書くためにパソコンに向かうたびそう思う。毎日起きて、労働して、帰宅して。その間にたくさんの取るに足らないことがあり、特別だと思う瞬間もそれなりにある。けれども、いざその出来事を書こうとすると、それが文字として書かれることに耐えられる内容ではないような気がして、先の感想に落ち着いてしまう。
 その実感は焦りではなくて、納得や安堵に近い。私はもしかしたら実人生にはあまり劇的なことは望んでいないのかもしれない。本や映画は、その納得や安堵の中にある、ほんの少し残念に思う気持ちを慰めるために摂取しているのかもな、なんて最近思ったりする。
 先日、同僚が1年半の産休に入った。花束やプレゼントを渡してこれまでとこれからを労ったあとの雑談で、出産という大イベントに触発された別の同僚が自分も何か新しいことを始めたいと言い出した。語学、料理、陶芸、手話。色んな習い事が次々と出てくる。
 年々、年末が近づくたびに時間の進むスピードの速さに驚いてしまうけれど、これからの1年半もきっとあっという間に過ぎる。あっという間に過ぎるだろうけれど、それは何かを新しく学ぶにも短すぎる時間だというわけではない。
 偶然にも、私が韓国語を勉強し始めてから、ちょうど1年半が経った。学び始めた当初は、読むにも書くにもとにかく時間がかかって、電車で駅名に付されたハングルを読むだけでも精一杯だったのに、今はそこそこ長い文章も読めるようになったし、話すのはまだ得意とは言えないけれど、だいぶ聞き取れるようになった。
 仕事をしながらでも、毎日少しずつ続ければここまで来れるんだなという達成感もある。1年半、1カ月という単位で振り返ったときには、代わり映えのないものに見えた自分の生活も、こうして少しスパンを長くして見れば、ちゃんと変わっているんだなと思う。「韓国語が少しできるようになった」ということが、ちゃんと起きている。
 実は直近に韓国語の試験を控えている。今は絶賛試験前の最後の追い込み期というわけで、空いた時間を見つけてはテキストを開いて単語や文法を覚えている。必然的に他の趣味にあてる時間が減って、ここのところ本を読む時間をなかなか捻出できずにいる。
 それなら、本を読むことで解消していた「少し残念な気持ち」と一体どう折り合いをつけているのかといえば、正直、試験勉強が大変でそれどころではないという感じがある。まさか自分がこうして真面目に勉強するようになるなんて、以前の自分からは想像もできない姿だけれど、ここの場では少しでもいいから本の話をしたいと思っていたから、ネタがなくて情けない気持ちもある。
 原書で読めるレベルまで行けたら一石二鳥なのでは……。そんな甘い理想を抱きつつ、試験頑張ります。

(ライター・書評家)

(2022年10月27日更新  / 本紙「新文化」2022年10月6日号掲載)