第46回 読解と読書

 学校図書館の担当者研修会に参加し、先生方の声を聞く機会をいただいている。話題は、子どもたちに本を読ませるにはどうしたらいいかである。
 そのような場ではいつも、『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社刊・新井紀子著)で提起された問題についてご意見をうかがっている。
 小学校で6年間、中学校で3年間、義務教育として国語を習うので、読書についても国語の時間で学んでいるのではないか、と考える方が多い。
 では、国語での読書教育は何をしているのかというと、読解中心の教育だ。そういう意味では読書教育そのものを行っているわけではない。本を読むという行為は評価基準が設定されておらず、授業の単元として取り上げるのは難しいことが理由となっている。そのため、読解という読み解く力を評価基準として、読書を教えているという話をよく耳にする。
 だからこそ、『AIvs.教科書が読めない子どもたち』で問題提起されていた「読み解く力」を身に付けるために9年間、国語教育を受けて卒業した子どもたちの6割が教科書を読み解けないという事実が重くのしかかるのだ。
 僕は読解=読書ではなく「読解は読書の一部」だと考えている。
 今、出版界がすべきことは「読者を増やすこと」であり、読者の消費者化は次のステップなのではないだろうか。「読書」を子どもたちに自分のものにしてもらうために、僕たちにできることがあるのではないか。
(本紙「新文化」2022年11月17日号掲載)

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