第50回 感覚の玉手箱

黒のストラップの革靴を新調したので、この冬はカラータイツばかり履いている。足元を見るとうれしくなる。服の色が派手なときは、白を履く。駅まで歩く道、その足元を見つめていると、今履いているものよりほっそりとした黒の革靴に、白い三つ折りの靴下を履いた小学生の私の足が重なる。バス停で足がかじかみ、親指と人差指がくっついているのではないかと思うほど寒かったこと。雨でぐっしょりと濡れた足にまとわりつく靴下が青く染まっていたこと。会社に行く道がいつしか通学路の風景に変わる。玉手箱のように記憶の扉が開く感じが好きだ。

忘れられないフェアがある。10年ほど前、出版社の営業担当さんから幼児絵本フェアの相談を受けた。私自身、幼児期に体験した感覚が忘れられなかったので、はじめて砂浜に足をつけた感触や、はじめての味など、子どもの頃の五感を思い出すテーマを提案した。私が彼女に披露した感覚にまつわる思い出はふたつ。おふとんにくるまっていないと、出ている部分を切り取られて持っていかれると思っていたこと。そして、小学校入試で好きな色を聞かれたとき、紫ではなく薄紫と言ったほうが面接の人に「どうして?」と聞いてもらえ、「祖母が好きだから」と答えると印象がいいと考える、小賢しい子どもだったこと。それが彼女の手にかかると、こうなる。

【ひとつ、ひみつを教えます。眠るときには、ふとんを頭までかぶるんです。子どものころの夜の世界は特別で、暗闇は窓ガラスをかんたんに通って肌に触れるすぐそばまで、静かに侵入してくるみたい。大人になったって、そんなときには「ふとん」に入ると、ほら大丈夫】

【子どものころから好きな色は、と訊かれるときまって「うすむらさき」と答えていた。どうしてこの色だったのかと、ふと考えてみたら理由がわかって、ふっとほころんだ。「うすむらさき」は、おばあちゃんの好きな色だった】

POP用に綴られた文章を見て、丁寧に言葉を扱う人だなと思った。「いつか見たもの 感じたもの~いま、子どもの頃の記憶と出会う」は彼女の言葉に導かれ選書をたどれる、見事なフェアとなった。

現在、月刊絵本の編集部に異動した彼女。どんな本をつくるのだろうと楽しみだったが、先日担当本『きのめとことり』(福音館書店)がお披露目となった。春を待ちわびる木の芽と小鳥のあたたかな交流の物語。やわらかい言葉とのびやかな絵。誠実な編集が伝わる。この一冊が「あの頃の記憶」になるよう、小さな読者に届けたい。

(本紙「新文化」2026年2月5日号掲載)

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